こんにちは、リビングボイスの池田です。
コロナウイルスによる自粛期間の解除後には茅ヶ崎市の開高健記念館へ行ってみませんか?
開高健は、大阪生まれの日本の小説家。
大阪市立大学卒業後、壽屋(現サントリー)の宣伝部に採用され、PR誌の編集やウウイスキーのキャッチコピーを手がけ、「裸の王様」で芥川賞を受賞します。
1964年には、朝日新聞社の臨時特派員として、戦時下のベトナムへ出向き、ベトナム共和国軍に従軍して最前線に出るも、奇跡的に生還しています。
1974年から、茅ヶ崎市の東海岸に移住し、亡くなるまでの16年間を過ごしたことから、ゆかりの地である茅ヶ崎市に記念館が建てられました。
この記事では、開高健記念館の展示品や内容について紹介します。
<開高健記念館 基本情報>
住所
神奈川県茅ヶ崎市東海岸南6-6-64
電話番号
0467-87-0567
開館日
金・土・日、祝祭日
開館時間
4〜10月 10:00〜18:00(最終入館 17:30まで)
11〜3月 10:00〜17:00(最終入館 16:30まで)
入館料
200円 (茅ヶ崎ゆかりの人物館の2館共通券は、300円)
アクセス
JR茅ヶ崎駅から徒歩15分
開高健が後半生を過ごした地である茅ヶ崎市に、開高健記念館があります。
昭和5年に生まれて、平成元年に亡くなった開高健は、まさに日本の昭和史を生きた人生です。
開高健記念館の常設展には、開高健が生き抜いた時代を4つに分けて、当時の作品と結びつけながら、代表的な作品が展示されています。
1930年〜1957年の作品や、原稿、関連写真、画像類などが展示されています。
大阪市立大学に在学中、谷沢永一が主宰する同人誌「えんぴつ」に参加します。
「えんぴつ」の原稿や、「えんぴつ」解散を記念として刊行された長編書き下ろし「あかでみあ めらんこりあ」が展示されています。
また、初期の開高健の長編傑作であり、舞台化もされた「日本三文オペラ」の台本や、サントリーのPR雑誌で、開高健が編集に携わった「洋酒天国」なども展示されています。
1958年から1963年の作品や、原稿、関連写真、愛用品などが展示されています。
1957年12月に、「文学界」に発表した短編小説「裸の王様」が芥川賞を受賞したことをきっかけに執筆活動に専念し、本格的に作家活動をはじめます。
「裸の王様」では、急速に組織化が進んだ戦後社会を描いています。
開高健が、芥川賞で授与されたロンジンの時計も展示されています。
また、1959年に刊行された「日本三大オペラ」や、長編「ずばり東京」や、当時の写真なども展示されていますよ。
1964年〜1973年の写真や画像、作品、原稿などが展示されています。
この時期の経験が、のちの執筆に大きな影響を与えることになります。
朝日新聞社の臨時海外特派員として、戦火のベトナムへ出発し、戦地取材のため、ベトナム軍に従軍します。
ベトコンに包囲されるも、生還し帰国。
ベトナム戦争の実体験をリアルに反映した、「ベトナム戦記」や、ベトナムでの写真がメインで展示されています。
趣味の釣りに関する「フィッシュオン」や、「私の釣魚大全」も、こちらに展示されています。
1974年〜1984年の作品や、原稿、写真、作品が展示されています。
1974年に茅ヶ崎市の東海岸南に移住し、58歳で亡くなるまでの間、この地で執筆活動を行います。
釣りをテーマにした「オーパ」や、自伝長編作品である「耳の物語」といった作品が展示されています。
「オーパ」の取材で訪れた海外先での釣りの写真も多く展示されており、彼の素顔に触れることもできます。
小説家としてのみならず、開高健は、コピーライター、ルポルタージュ、エッセイや旅行紀行など、あらゆる分野において活躍したユニークな作家です。
企画展では、期間限定で、さまざまな視点からテーマを決めて、それにまつわる内容や作品と絡めながら、わかりやすく展示しています。
これまで開催された、企画展の内容をいくつか紹介していきます。
開高健が亡くなる8日前に発表された作品、「珠玉」にまつわるエピソードにスポットを当てた企画展です。
3つの宝石をベースとして、物語が展開していく内容であり、開高健は、病気療養中に宝石の研究を行いながら、「珠玉」を書き上げました。
この企画展では、「珠玉」が完成するまでの、開高健の生き方や当時の写真などを交えながら、どんな作家であったのかを紐解いていく流れになっています。
開高健の自伝長編小説である「耳の物語」について、より深く知ることができる企画展です。
自らの耳の記憶により、自身の半生を描いています。
「耳の物語」の直筆原稿や、作品に関連する資料が展示されており、どのような半生を送ってきたのかが理解できます。
1974年から、開高健は、茅ヶ崎市に書斎を構え、この地で後半生を送ります。
開高健の茅ヶ崎市での生活スタイルにスポットを当てた、興味深い企画展です。
茅ヶ崎の自然の中で、たくさんの作品が誕生しています。
茅ヶ崎市の書斎で、開高健が使用していた万年筆や、原稿用紙、釣り道具や自筆のメモなど、彼の生活が垣間見える品々が展示されています。
開高健の作品は、今なお新しいファンが増えており、時代を超えて人気です。
小説家としてだけではなく、さまざまな顔を持つ開高健とは、どのような作家だったのでしょうか?
開高健は、当時勤務していたサントリーのPR雑誌「洋酒天国」の編集長でした。
今ではおなじみの職業である、コピーライターの草分け的存在だったのです。
開高健が手がけた有名なキャッチコピーは、ウイスキーの「人間らしくやりたいナ」です。
サントリー勤務時代に執筆した作品、「裸の王様」が1958年に芥川賞を受賞します。
芥川賞受賞を機に、執筆活動に専念するため、サントリーを退職しますが、原稿を締め切りまでに書き上げることができず、講談社からは絶縁状を叩きつけられたというエピソードもあります。
朝日新聞社の臨時特派員として、ベトナムへ出発し、現地ですざましい戦争体験を経験します。
この戦争経験をもとに描かれた作品が、開高健の代表作である「輝ける闇」、「夏の闇」です。
「輝ける闇」は、毎日出版文化賞を受賞しています。
ルポルタージュ「ベトナム戦記」も執筆しました。
帰国後は、反戦運動にも参加しています。
開高健は、釣りが趣味であることも有名です。
開高健記念館には、釣りを楽しむ彼の写真もたくさん展示されています。
釣りをテーマにした作品である、「オーパ」や「フィッシュオン」も彼の代表作品としてよく知られています。
日本国内はもちろん、釣りを楽しむために、南米など世界中を旅しています。
没後30年を経過しても色あせることのない、開高健の作品は、時代を超えて若い人たちの間でも人気です。
戦争体験など、作家としては異色の経験を持つ、開高健の作品は、人間らしさとは何かをあらためて教えてくれます。
茅ヶ崎市の開高健記念館で、ぜひ開高健の人生の足跡をたどってみてください。
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